2008年9月1日月曜日

任地での生活(その3「公務員の制服」)

今日は9月1日月曜日で出勤のはずなのです。しかし,puasa(断食)初日なので,正式なインフォメーションは出ていませんが,ジェネポント教育省の場合,行っても行かなくてもいい,行かない方がよりいいと真面目な職員の方に言われ,断食休みを満喫!?しております。(実際は仕事に行っている人の方が圧倒的に多い。)朝,3時半にごはんを食べましたが,もうお腹すいてきました。いつまでみんなと一緒にできるでしょうか。イスラム教徒にはなれませんが,こちらで仏教徒として通しても,Mau
ikut?(断食参加したいですか,一緒に断食やってみる!?)と言われると,ついつい参加すると答えてしまっていました。暗い時にだけ食べたり,飲んだりするから不健康なのか,やはり食が減るから身体が浄化されていくのか,実体験して理解できる貴重な機会だと思っています。周りの人がイスラム教
徒の人ばかりですから,断食している方が心理的には楽です。
女性特有の月1回の数日間はお祈りとpuasaは免除されるので,当然ながら私は女性としての挑戦をします。


 さてさて,本題の公務員の制服の件ですが,インドネシアでは,公務員(役所,学校の先生)は,制服を着ています。月曜日だけ緑色の制服で,地域の公務員が集まって朝礼が行われます。写真は朝礼で職員が国旗に向かって敬礼しているところです。火曜日から木曜日は,黄色の制服で,写真は私の制服です。布は自分で買って,自分の体にあった制服を縫ってもらうので,みんな若干,布の色や服の形に人それぞれ特徴があります。 金曜日は体育の日のようなイメージで,服装は自由です。ジャージ姿の人も多いですが,おしゃれをしっかりしてくる人もいます。


2008年8月31日日曜日

任地での生活(その2「私のもう一つの名前」)

8月5日に現在の職場であるジェネポント教育省のkepala(長)が,私をひと目見て,ジェネポントでの名前をつけてくれました。DAENG CAYA(デーン チャヤ)というのが私のもう一つの名前です。
意味は「明るい」とか「光」とか,まあ明るいイメージの名前です。ジェネポントでは,最初にCAYAを名乗ったあと,nama Jepang(日本の名前)を名乗るようにしています。名前というのは,恐ろしいなあと思うのですが,この名前を名乗っている以上,暗くできないのだなあと・・・。ありがたいことに,疲れたなあと思う時でも,真剣に物事を考えている時でも,停電の闇の中でも,Caya!と呼ばれると笑顔で返答している自分の姿があるようです。でも,やはりnaoko(naosan)と呼ばれるといつも通りの自分のようでほっとします。さてさて,明日(9月1日)からインドネシアでは,断食です。日本の社会科の教科書では,イスラム教徒はラマダン(断食月)があり,日がのぼっている間は,飲んだり食べたりすることは一切できない。日が沈んでからいつもよりごちそうを食べるとあります。今,インドネシアの人に聞いてみると,一般的には朝3時から4時までに朝ごはんを食べる。5時はもう食べてはいけない。午後6時に晩御飯を食べる。9月1日からpuasa(断食)初挑戦です。どういう感覚で過ごすのか楽しみ。

2008年8月24日日曜日

独立記念日(8月17日)


独立記念日は必ず任地へいるように!私は教育省へ勤務していますが,まだ仕事らしい仕事があるわけではありません。ですが,勤務時間中に kepala(長)や奥様にお呼びがかかることがあります。赴任2週目はpesta(会)へ同行することが多かったです。会というのは,地域の結婚式(お昼に3つの結婚式をはしごしたりしました)や,役職のある人の家族の誕生会,何かよくわかりませんがお楽しみ会のようなものまであります。家にステージを臨時に隣接させて,プロのような人を呼んできて盛大に会を盛り上げる家々を回ってきました。なんとなくkepalaの人間関係が見えたような気がしました。独立記念日はkepalaに正式な招待状が7通届いていました。「疲れる」といいながら,行かなければという責任感もあって参加されているようでした。私もメインの式典には一緒に参加させてもらいました。VIPのような席で,日本ではこのような席に座ることは一生ないと思います。
独立記念日の前にはTVのCMで,日本がインドネシアを占領していたシーンが何回も流れていたので,
私としてはこの席には違和感がありましたが・・・。
独立記念式典はインドネシア国民にとってとても大切な行事であると実感しました。日本は広島や長崎の平和祈念式典はありますが,国民全体の独立記念日はありません。日本人は独立の式典を重要と思ってないのですねと奥様にいわれ,国家についてしみじみと考えることとなりました。


任地での生活(その1「水」)


ようやく任地ジェネポントでの住居も決まりました。自己紹介のところに住所を書いていますので,ぜひインドネシアへお手紙いただければと思います。家はジェネポントの教育省の長の家を間借りしています。ここではお風呂はないので,毎日水浴びしていますが,写真にあるように水をためています。いい時で黄色,もっとすごい時は緑色の水なんです。今はすっかり慣れてしまいました。洗濯物は今のところ黄色く染まっていないので,ホッとしています。

2008年8月9日土曜日

活動開始日(8月6日)に!


Dinas pundidikan へ。すぐに近くのSMA(公立の高校)の授業見学へ。生徒の皆さんに紹介されました。授業の終わりに,日本の高校生の様子を生徒たちに教えてほしいといわれ,いきなりだったので,冷や汗!つたないインドネシア語で説明しました。ちょうど8月6日でしたので,広島の原爆についても話をさせてもらいました。1年後,広島原爆展をインドネシアで開催したいという願望があります。

2008年8月3日日曜日

39(サンキュー)です!


 8月2日土曜日,なんとラッキーなことに先輩隊員よりプリンターを譲っていただくことができました!多くの先輩隊員の皆様にお世話になり,本当に有難い限りです。今日は休日でしたが,結局そのほかは特に何をするわけでもなく終わってしまいました。晩ごはんの時,私と一緒に食事をしてくれた赴任待機中の一隊員に何の気なし「今日,39歳の誕生日なんよ」というと,H隊員は私の両手を握って「直ちゃん,2年間一緒にがんばろうね。2年後は・・・40(才)・・・だけど・・・がんばろうね!」その通り!(笑)今日はずっとメールだけで,「おめでとう」と言ってもらっていました。最後にあたたかい人のぬくもりを感じることができました!とても心あたたまるひと時でした。 


 実は次の日に続きがあり,同期隊員(ジェネポント,ゴア,タカラール,マロスより)とマカッサルの先輩隊員にお誕生日を祝っていただきました。最初何かなと思うほど,気付かれないように用意してくださったので,びっくり!!39才と2日目がとても感動でした!ポストカードと今日のバナナケーキの味はずっと忘れることができないと思います。もう40歳目前にして,お祝いしてもらえるなんて!本当にありがとう!!みんな任地でも支えあっていこうね!!!


マカッサルの夕日

マカッサルは夕日の美しさでとても有名な所です。
ぜひ,皆様にみてほしいと思います。