2009年8月5日水曜日

「気持ちだけは勝負」と「赴任1年」



















昨日,衝動買いとまでは言えませんが,思い切ってスピーカーを購入してしまいました。
ジェネポントで購入するのは,保証もきかないし,都市マカッサルで買うよりも割高だとは思いましたが,どうしても8月6日に(SMA2)公立高校で広島のDVDを流すときに,
ジェネポント県の高校生の皆さんにきちんとインドネシア語の内容を聞いてほしいと思ったからです。早くから準備していれば,マカッサルでもっといいスピーカーが安価で買えたかもしれません。でも,切羽詰らないと動かない私です。だから,高くても買って,8月6日に向けて気持ちだけは勝負をかけます。
今日はちょうどジェネポント県教育局へ赴任して1年となりました。そういえば,1年前にここ学校外教育課の部屋に案内された後,調整員の方に「ここが仕事場だよ」と言われ,前の係長や何人かの人と挨拶したのを今でも鮮明に覚えています。1年後,数人でも一緒に仕事の話ができる人々ができて本当によかったと思いました。ちょっと気取って握手写真をとりました。机の写真は私の席です(幼いこどもみたいだと係長に言われながら,インフォメーションや簡単なレポートを机の前に重ね貼りしています)。

2009年8月4日火曜日

歳をとっても,大きな口をあけて!!








































8月2日の誕生日はとても落ち着いた平和な日曜日を過ごしました。職場の同僚からいただいたホールのケーキを翌日の8月3日にジェネポント県教育局へもどり,学校外教育課のみんなで分けて食べることにしました。1日遅れてしまったけど,職場のみんなに私が40歳になったことを披露することになりました。部屋へ入ると同時に,何度もインドネシアのお誕生日の歌をうたっていただき,ケーキカットしました。昨日,「4」と「0」の数字のろうそくを買っていたので,それをつけて「40」をあらわしました。
インドネシアではお誕生日は,誕生日の人が自分の周りの人にケーキ等を振る舞ったりするのが普通です。日本風にプレゼントをくれる人は稀なのです(笑)。ホールのケーキがどれだけの人に食べていただけるかちょっと心配でしたが,約30人分に分けて食べました。私の口に直接ケーキを運んでくれるのが,こちらのお祝いの仕方のようで,たくさん大きな口に入れていただきました。まだまだお子ちゃまの私ですが,みんなが喜んで食べてくれて嬉しかったです。いつも私のことを思ってくれる同僚に感謝です。

2009年8月2日日曜日

生まれたときは予想できませんでした!40年先のこと。
















誕生日をきっかけにようやくブログを10ヶ月ぶりに再開します。






2009年8月2日を無事インドネシアで迎えることができました。前の日からどきどき。そして0時過ぎ,40歳代の大台は,日本から来てくださった友人が祝ってくれました。そしてお昼にはインドネシアの友人が



ホールのケーキを買って,ホテルまで持ってきてくれました(涙が出るほどうれしかった)。夜はシニア海外ボランティアのお宅でワインで祝っていただきました。元々お子ちゃまの私が「四十にして惑わず」はなかなか難しいと思いますが,三十代とは違う自分になれるかなあ。お電話やメールでおめでとうと言ってくださった皆様に感謝いたします。



40年前,今日の私を誰が想像しえたことでしょう。

2008年10月19日日曜日

レバラン休暇(前半・ボゴールにて)











9月27日の午前6時15分にマカッサルのハサヌディン空港からジャカルタ経由でボゴールへ飛び立つことができました。何といっても,職場の友人のつてで,飛行機会社に勤める友人を紹介してもらったので,レバランという混雑な時期のチケットをギリギリになってとることができたのでした。チケットはとても高かったですが,このことを通じて新しい友人ができたことや,私にとってはボゴールへ二本松訓練所時代の恩師であるインドネシア語の語学講師の実家を訪れることができたことは,お金に代え難い貴重な経験でした。写真は実家の母屋と別荘のようなはなれです。私はこのはなれ(洗濯物がある方)を自由に使わせてもらったのでした。お料理は野菜・・・野菜・・・野菜・・・と野菜尽くしとまではいいませんが,たくさん野菜があって,本当にうれしかったです。それから,先生宅の近くにスパがあって,別にまだ切らなくてもいいのに散髪して,さらに髪が短くなりました。1日おいてまた行ったので,全身ウコンクリームマッサージ(お腹やおっぱいマッサージまである)とスティームをしました。女性専用のお店で,とても居心地がよかったです。でも,日本のつぼやリンパのマッサージのように疲れがとれるところまではいかないのですが・・・。
 4日間滞在させてもらったのですが,ゆっくりリラックスして過ごしたのはもちろんですが,語学講師の先生は,なぜ私がボゴールへ来たのか見抜かれていました。8月に赴任してから,活動が全く進まない状況について,最後の夜にたくさん話しをさせてもらいました。巡回型の隊員なのに,視察のための巡回が0回であること。(他の種類の巡回は何度かあります。)外の実際の現場を知ることができない状況を話しましたが,語学講師の先生は私が内である教育局(DINAS)について知っていないことも見抜かれていました。このボゴールでの夜のおかげで,私が10月になっても巡回できない時に,職員一人ひとりに
インタビュー形式でアンケートをとっていくきっかけとなったのでした。
「私は学校外教育課の一人ひとりの仕事を知らないから具体的にどういう仕事をしているのか教えてほしい。」
 今までは,挨拶と簡単な雑談で終わっていた会話が,アンケートに書いてくれる内容をもとに一人ひとりと仕事の話ができるようになりました。学校外教育課の職員は33名いますし,郡担当11名,PKBM等の担当者や各識字教室のTutorを含めると,このアンケートはずっと続けていく必要があると思います。1日に1人か2人のペースです。もちろん私のことを「インドネシア語も流暢でないのに,何しに来たん」と思っている職員がいることもわかってしまったり・・・。アンケートの回答に大差はないかもしれませんが,でも一人ひとりの同僚の特長をつかみ,また一つひとつの壁を越えてこそ,相互理解につながると思っています。ようやく私の大好きな言葉「少しずつ・・・,一歩ずつ・・・」という言葉が出せるようになりました。巡回に行かないとお話にならない状況は変わらないのですが・・・。

レバラン準備のために・・・


私の勤める教育局
や県のお役所では,レバラン休暇が9月27日の土曜日から9連休で始まります(本当は過去形なのですが)。それを受けて,いわゆる正公務員の人は,レバラン準備のために使いなさいとお菓子づくりのための材料を県から支給されています。わざわざ県庁へ取りに行くのですが,写真にある通り,小麦粉や調味料等でした。ものすごく重かったです。最近務めた人や臨時の勤務の人にはありません。インドネシアのご家庭を訪ねると,ビンに入った手作りのお菓子を出されることが多いです。手作りのものや自然な風味をインドネシアの人たちは大切にしています。
 そして休暇前日の9月26日金曜日には,教育長から職員全員にレバラン用にと一人10万Rp(日本円でいうと千円位からもしれませんが,価値としては一万円くらい。)ずついただきました。教育長のポケットマネーではなくて,レバラン用にプールしているお金なのかもしれませんが・・・。私の分も用意されていて,名簿とサイン記入欄もありました。初めてインドネシアからの貴重なお金をいただきました。

文房具が届けられました!




 9月25日(木),私の勤務するジェネポント県教育局にマカッサル州政府から大きな段ボール箱が85個届きました。中身は識字教室等で学ぶメンバーに無料で配られる文房具でした(ノート5冊,鉛筆削り2つ,消しゴム2つ,鉛筆2本,ボールペン2本,定規2つ)。2000人分です。本当は教室が開始される7月に配布されなければならないとのことでした。半年ごとのタームなので。約2か月遅れです。私のブログも1か月遅れです。ジェネポント県にはすでに200グループ(1グループは10名)で識字教育活動等が動き出しているのですが,まだ私は乗り物の手段の確保が難しく,実際の現場に行くことができていません。(インドネシアの隊員はバイクへ乗ることを禁止されています。自由に移動できる車の確保が難しいのです。)巡回型の隊員なのに巡回する手段がないのが今一番つらいところです。

2008年9月19日金曜日

都市での研修


今,断食月で,任地ジェネポントでの教育活動は学校も学校外の識字教育も停止中なんです。残念!
そこで,職場の人が都市マカッサルで受けている研修を2日間だけですが,私も受けさせてもらうことにしました。スラウェシ島全域から,教育省や保健省のスタッフ,学校の先生が集まり,就学前のこどもたちや,村で学校へ行っていないこどもたちやおとなになってから学ぼうとしている人たちに教えることを目的としているようです。いかに教材にお金をかけず,且つ手作業を通して頭を使っていくかということを念頭において実施されていて,研修もグループでの創作活動が中心です。
初日は,なかなかとけこめず,言葉の壁で誤解も生じたり,研修レベルの高さにに圧倒されていましたが,2日目から少しずつなじんできました。
よく考えたら,2週間の研修をホテルに泊まって受けること自体すごいなあと思いますし,先生方の先生は,シンガポールで4か月研修を受けてきた人たちで,教えるパーツがいくらでもあるようでした。夜も
研修室に集まって,地域ごとのグループで研修内容の検討を行っていたり,受講者はとても熱心です。
所属の地域へ帰ったときに,今度は自分が指導者として,職員研修をするので,ボーっとしてはいられないのかもしれません。みな資料以外の分厚い大きなノートが研修メモでいっぱいになっていました。
幼児教育に携わる人たち,学校外教育活動に携わる人たち,そして村の中に入って啓発活動を行う人たちにとっては,有意義な研修だと思います。たとえば,私はインドネシア語がまだまだなので,インドネシア語を話すことができない地域の村の人と同じ感覚になるかと思うのですが,職員が早口のインドネシア語で説明してくれるよりも,解説書を読むよりも,わかりやすいです。学校で教科書を使って行う授業とは脳の鍛える場所が違うかもしれませんが,説明を聞いてたら右から左へ流れ,文字を読もうとすればどうしても眠たくなる人が多い村では,活動を通して,この活動は何の意味があるのかを考える方が,村の人々にとっては有益な勉強のように感じます。
ただ,日本でも同じだと思うのですが,研修を受けている時はやる気のあるメンバーばかりでどんどん活動が進みますが,これを知らない人に教えるときは,何倍ものエネルギーが必要です。だからこそ,
地域に帰ってからの職員研修や村人との信頼関係づくりが成功の鍵を握っているのかもしれません。